2016/10/28

リストラの達人「首切りしまくって副社長に出世、嫁も3人目で悠々自適。本当に幸せな人生です」

1:名無しさん@2ろぐちゃんねる: 2016/10/28(金) 09:15:24.34 ID:+KZCj6Xq0.net

「日本一リストラ屋」の多毛作人生 転職を繰り返した後の悠々自適

同じ転職人生でも「雲泥の差」とはこういうことをいうのだろう。
能力もないのに割のいい仕事を求めて「転職流浪」をしてきた筆者と違って、
松尾正弘さん(80)は高い能力を買われて数多くの企業を渡り歩いてきた。

旧帝大の九州大学を卒業後、辞書や教科書出版の三省堂に14年勤め、36歳でワックスメーカーのジョンソンに転職。
65歳までいることはできたが「人事担当者として実施したリストラの責任を取って」60歳の定年で辞めた。
最後の役職は常務取締役だった。

普通のサラリーマンは定年後「毎日が日曜日」になるが、松尾さんはここからがすごい。
60歳までに2社、定年後は9回転職を繰り返し、合計11社に勤めた。
ほとんどがヘッドハンティングによる転職で、社長や専務などの役員待遇だった。

人事のプロとしての手腕を発揮したのが、アウトプレースメント(転職斡旋)の日本ドレーク・ビーム・モリン在職時代。
早い話が「肩叩き」代行会社で、「私は外資系企業を専門に、人事担当者や役員にリストラの指導をする。
いっぱいやりました。人員削減を成功させて半年後に役員になった人もいますよ」。

この会社での最終ポストは副社長。行く先々で人事制度の見直し、経営改革に辣腕(らつわん)を振るってきた。
リストラの達人だ。松尾さん自身「日本で一番のリストラ屋だったと思う」と振り返る。
妻を2人病気で亡くし、何度か大病に見舞われるなど私生活では苦労もあったが、
ビジネス人生は「自分の思う通りの仕事ができて満足でした」。

趣味が多く、学生時代から続けている合唱、ピアノ、海外旅行、週2回のゴルフと、まさに悠々自適。
3人目の妻は19歳下。満面に笑みを浮かべて「いまは本当に幸せです」。
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